霞朝雄先生が2017年10月20日に急逝されました。ここに冥福をお祈り申し上げます。

霞朝雄先生は東京大学医学部1963年卒、胃内視鏡検査を世界に先駆けて開発し、早期胃がん検診で世界をリードしていた東大医学部消化器内科研究室や国立がんセンターに属し、この知見を世界に示す大望を持ち、1976年に渡米されました。胃がん患者さんが日本ほど多くない米国、なおかつ、きめ細かな日本と違う米国の文化の中、消化管内視鏡検査の米国での普及という難しい課題に努められました。その後、日本人コミュニティーへの医療の道を邁進され、2002年に、ニュージャージーのハッケンサックにて、リバーサイド検診センターを立ち上げ、ニューヨーク近郊の日本人コミュニティーの医療を守ってこられました。

東大友の会には、設立当初より毎年多額の寄付を匿名でなされ、多くの東大の学生さんの米国留学、米国学生の東大への留学を支えることで、将来を担う日米の優秀な学生さんの交流を応援くださいました。深く御礼申し上げます。

なお、奥様の昌子さまが、亡きご主人を偲ばれて、霞朝雄先生の生涯をまとめてくださいましたので、ここに紹介させていただきます。

東大友の会一同

中央テーブル、右から順に、東大友の会前理事長小林久志先生、霞朝雄先生、奥様の昌子様。2014年2月ニューヨーク銀杏会総会にて。

 

先生は昨秋79年の人生を静かに閉じました。

生涯温厚な人柄は変わる事なく、又患者さんをはじめ周りの人々を気遣っての人生でした。一方、己には厳しく忍耐強く、準備は周到に、そしてやり始めたことは簡単には諦めない強い意志の持ち主でした。

先生は2、3ヶ月前なぜか「79年の私の人生は日本での38年間とアメリカでの41年間、全く違う二つの人生を生きさせてもらったなあ」と感慨深げに話したことがあったのです。

日本での38年間は紐解きますと、戦争まさに始まらんとする最中の生まれですが、父親が開業医という環境の中、むしろ恵まれた少年時代を送ったと言えます。そして東大医学部で存分に学び、その合間には空手部でその真髄をめざして稽古に励み、生涯の友との出会いもこの頃で人生の大半は保証されていたといえます。

ただ先生は周りの人より早く、世界の大きさ、海外の広さに思いを馳せていたのだと思います。海外での論文発表、シンポジュームへの参加、さらにはメキシコオリンピックのチームドクター、アジア大会のチームドクターを務め、またオーストラリアへ政府主催の医療派遣団に選ばれて胃カメラを教授する機会を得るなどしています。自由闊達な癌センターでの経験も、単独で果敢に海外への道を目指す後押しをしたのではないかと思われます。

胃早期癌の発見が最良の胃癌治療法と信じ、東大8研の実力を日本人としてアメリカに広めることを決心たのが1976年でした。まず胃カメラのインストラクターとしてワシントンDCにあるジョージタウン医科大学へ就職を予め渡米前に決めていました。4人の家族を抱えて、300ドルでNIHから帰国する日本人御家族の家具一式を譲り受けてのヴァージニア州フォールスチャーチでアメリカ生活の出発でした。3人の息子達はこの時7歳、5歳、1歳で

この近隣在住の日本人家族には大変お世話になりました。

「自然にごく自然にやればいいのだ」というのが先生の口癖で、そう自分自身にも納得させていたのでしょうか。

1980年代にはS先生の紹介のもとペンシルバニア州アレンタウンでの生活が始まりました。

カメラを所望された初老の肛門外科医を助けながらリーハイヴァリー病院、セイクレット病院でインストラクターを続けました。目的は同じ世界に胃早期癌を示すデーター収集につとめ結果を出そうとした時期であり、また同時に家族一同アメリカ生活の本質に触れた時期でもありました。ここアレンタウンに13年余り、3人の子供達にはここが故郷でありサッカーに夢中になりながら中学、高校と公立に通い、良くも悪きもアメリカ人の一部を自分の中に感じつつ育っていったようでした。

この頃には、アメリカ人には胃癌もさることながら微小癌というものを認識するのが苦手のようだという事がわかって参りました。そしてキャラクターや人種の問題にも増して、病気の宝庫、経済が医学を牛耳るなどの厳しい現実、その中で症例を集める事の限度にも直面していました。ちょうど時期を同じくしてフィラデルフィアの野口医学研究所が、医者を探していると言う話が耳に届きました。野口医学研究所は日米の医学交流、医師の交流を目的として立ち上げられたばかりの財団で、先生はその趣旨に賛同し、何年も頑張りました。

そして、今から約15年前、先生が総力かけて監修し作り上げた診療所がリバーサイド健診センターです。日本人の海外生活を医療面で援助したいと、一念発起して立ち上げたものです。相手のあることはななか一筋縄ではいかないこと、、自分のことは自分達でという社会のアメリカで先生の結論がこの診療所だったかもしれません。現在は内視鏡による診断技術も色々な分野で広く普及してきていますが、その発展の一端を先生はカメラをかついで担ってきたと言えると思います。リバーサイド健診センターはその総仕上げ、献身的優秀なスタッフのもとで患者さんの信頼も生まれこれからも目標を高く、長く続けていきたいと思います。それを先生もきっと願っている事でしょう。先生のアメリカでの証なのですから。

先生にはもう一つ近年になって密かな夢がありました。年々増え続ける日本人高齢者のための日本人による老人の家の建設でした。先生の夢は尽きなかったようでした。